
明治時代、正岡子規が写実主義をとなえ、自分でも実行していた頃の名句です。東京の郊外を散歩しながら、野外の草木を入念に写生したりして俳句を詠んでいたそうです。ふと遠く筑波山を眺め、空を仰いで秋を感じていたのでしょう。俳諧においても、代表的な句として知られています。
冬になって野の草や木などはすっかり枯れはててしまったが、
見上げると筑波山も落葉して、木の数を1本2本と数えられるほどになってしまった
与謝蕪村は、江戸時代中期頃、9年に渡って結城市や下館市の友人宅を転々としながら、俳句を作っていたそうです。当時まだ無名だった彼は、筑波山を見たり、桜川のほとりをゆっくり歩いたりしていたんでしょうね。
その頃の江戸は今のように空気がよごれていなかったのでしょうね。
町の中からでも純白や紫色、または緑鮮やかに彩りを変化させる筑波山をそのまま体験できたのだと思います。
後世の俳人たちはこの句をまねて、筑波山を「むらさきの山」と呼んだことがきっかけでやがて「紫山(しざん)」「紫峰(しほう)」と言うのが、筑波山の別名になったそうです。
何度も何度も見て、今では見古してしまったけれど、
春が来るたびに筑波山は美しいものだこちらは一茶が、江戸時代後期頃に両国橋から詠んだ句です。筑波山をいつくしむ思いがあふれる歌ですよね。私のお気に入りの一句です!
こちらは万葉集の「夏の雑歌」です。「つくばの山に登らざりしを惜しむ歌一首」と残されています。虫麻呂さんは登山しなかったことを残念がっているのももちろんですが、夏の代名詞であるほととぎすの鳴き声を聞けなかったことをとても惜しんで気持ちのようですね。以前、初夏に筑波山を訪れ、ほととぎすの声を印象的に聞いたのかもしれませんね。